交通事故被害者のために弁護士が慰謝料を増額

時効の起算点

※ 時効はいつから進行を始めるか。

(最高裁 平成16年12月24日判決)
「「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」とは,被害者において,加害者に対する賠償請求をすることが事実上可能な状況の下に,それが可能な程度に損害及び加害者を知った時」

後遺症が残った場合は、原則として、症状固定したことを知った時からであり、後遺症が残らない場合には、事故の時から発生します。
例外事例として、次のような判例があります。

損害を知らなかった場合

(1)症状の特殊性による場合

① 福岡地裁 平成9年3月6日判決

(事案)
20歳男子大学生が、平成2年11月7日午前1時50分ころ、福岡市城南区内で飲酒後、大学同好会仲間の被告運転の乗用車後部座席に同乗中、電柱に衝突、暴走して対向訴外車と衝突して第3、4頸椎間脱臼骨折、頸髄損傷等で520日入院の後、肩から下の四肢脱力、痛覚脱失等1級3号の後遺障害を残したもの

(判旨)
「本件事故による原告の後遺障害は極めて重いものであり、したがって、原告としては、症状固定後も長期間にわたりリハビリによる自活訓練を受ける必要があったことは明らかである。
そうすると、このような場合にあっては、右リハビリの結果を待ち、将来にわたる一応の目処が立ってから損害賠償請求をすべきがむしろ当然であって、症状固定時から消滅時効の進行が開始するものと解すべきではない。なお、弁論の全趣旨によれば、被告も右の点につき十分理解を示し、そのような対応をしていたことが窺えるのであるから、本訴において消滅時効を主張するなどはもっての外というべきである。」


② 東京地裁 昭和59年1月26日判決

(事案)
昭和54年4月に北病院で診断された原告の慢性肝炎は、原告が本件事故後の輸血により罹患した急性の血清肝炎に起因するものと推認され、客観的にはこの血清肝炎が慢性肝炎に移行していったと考えられるが、原告の黄疸等の症状は、昭和44年9月12日時点の丸山病院退院時には既に消失しており、その後において原告に何らかの肝炎の症状があらわれていたことを認め得る証拠はなく、また原告の肝機能障害に対する検査・投薬は昭和46年7月ころまで続けられていたことは認められるものの、その後昭和54年4月の北病院での診察までの間に、原告がいずれかの病院で肝炎に対する治療を受けていたことを認め得る証拠もない。

証人貝塚秀四郎の証言によれば、慢性肝炎になりながら、患者に特段の自覚症状があらわれないまま10年位経過することも少なくないとのことであり、現に医師である同証人が昭和54年5月1日に初めて原告を診察した時点においても、原告に自覚症状は全く出ていなかったということである。なお、同証人の証言によれば、同証人の作成にかかる(証拠略)(自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書)に記載された「昭和49年6月15日治ゆ」とは、原告の外傷に限ってのものであり、肝炎に関するものではない(同証人の記載ミスである)ことが認められる。

(判旨)
次に、被告らは、原告の慢性肝炎による損害賠償請求権は昭和49年4月9日の第2回示談成立から3年後の昭和52年4月9日の経過により消滅時効が完成したと主張するが、前説示したところからすると、原告が右示談時までに慢性肝炎による損害を認識ないし予見していたとは認められないのみならず、慢性肝炎の病態及び後遺症としての特異性を考えてみると、原告に対しその時点で慢性肝炎による損害の認識ないし予見を期待することも無理であったというべきである。

してみれば、原告が慢性肝炎による損害を認識したのは、北病院で診察を受けた昭和54年4月23日以降ということができ、原告は、その後3年を経過する前の昭和57年1月14日被告生井を相手方として調停を申し立て、同年3月30日の調停不成立の翌日に被告生井に対する本訴を提起しているのであるから、本件損害賠償請求権について消滅時効が完成したとする被告らの主張は採用できない。

(なお、被告深谷は、昭和54年4月23日の北病院での診察を消滅時効の起算日とする主張はしないことを明らかにしている。)

被害者の能力によって知り得なかった

① 仙台地裁 平成8年12月27日判決
「ところで、本件についてみると、(証拠略)によれば、平成元年12月7日に宮城病院医師成川弘治作成の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書が発行され、右診断書において、症状固定日が平成元年3月29日と診断されていることが認められるから、右診断書が発行された時点においては、後遺障害による損害の発生を認識し得る状態になったものということができる。

しかしながら、本件においては、前記認定のとおり、原告の後遺障害は、重度の左右の不全麻痺、言語障害(感覚性失語)、高次脳機能障害等というものであり、症状固定当時から心神喪失の常況にあったものと認められるから、右認定のとおり、症状固定の診断がされたからといって、被害者である原告自身がそのことの意味を認識し得たとは考えられず、原告が後遺障害による損害の発生を認識したものと認めることはできない。

そうすると、本件においては、法定代理人が損害を知ったときから時効が進行するものと解するのが相当であり~」

→ 妻の申立てにより原告を禁治産者とする審判がされ、同月31日に右審判が確定し、妻が原告の後見人となったことが認められるから、右審判が確定した日の翌日から時効が進行するものと解するのが相当とされた。

右のように解するときは、不法行為による損害が発生していながら、被害者が心神喪失の常況にあり、かつ、申立権者から禁治産宣告の申立てがされないためにその宣告がされない場合は、その間は消滅時効は進行せず、民法724条後段の20年間の除斥期間が経過するまでは不法行為をめぐる法律関係が確定しないこともあり得るが、そのような不利益は加害者において甘受すべきものというべきである。

② 広島地裁 平成12年2月18日判決
(事案)
73歳女子の被害者は、平成4年3月8日午前9時15分ころ、広島市南区内の片側3車線道路を自転車で横断中、第三車線から発進した加害タクシーに衝突され急性硬膜下血腫等で1年半後両上下肢機能全廃の1級3号が固定し、さらに入院中の2年4か月後死亡した

(判旨)
政子は、症状固定の時点において、遷延性意識障害があり、植物状態に近い状態にあり、その後、若干の回復がみられたものの、症状に大きな変化はなく、その間、法定代理人が選任されたという事情は窺われないことからすると、被告らが主張する消滅時効の起算点において、政子が民法724条の損害を知ったとはいえない

その他

大阪地裁 平成13年2月22日判決
(事案)
原告は、平成6年3月16日ころ、同病院の藤江博医師(以下「藤江医師」という。)から、保険会社との間に入って煩わしい、もう交通事故の患者は診ないようにするなどと突然治療打ち切りを告げられ、他の病院を紹介してくれるよう頼んだがそれも断られた。

藤江医師は、平成6年5月11日付で「頭痛、頸部痛は続いているが、症状については固定していると考えられる。」旨の診断書、平成9年4月14日付で「左頸部、左肩の疼痛、左手尖部のしびれ感、頸がまわりにくいの訴えに変化なく、他覚的に神経学的所見では異常を認めず、平成6年3月16日の段階で症状的には固定したと判断した。」旨の診断書をそれぞれ発行したが、平成9年8月23日ころ、原告訴訟代理人宛に、平成9年4月14日付診断書については無効とする旨の書面を送付した上、平成9年8月21日付で、4月14日付診断書の内容を「…平成6年3月16日で中止となる。」と変更した診断書を発行した。

(判旨)
損害の発生を知ったときとは、治癒の見通しが立つか、またはその症状が固定し、後遺障害の発生の有無が確定したことを被害者が知ったときという意味に解するのが相当である。

本件においては、原告の症状が平成6年3月末ころ症状固定に至ったものと解すベきことは前記のとおりであるが、前記のとおり認定した藤江クリニックにおける治療中止の経緯(1の(四))や、その後も原告は頭痛や頸部痛が治まらず、他院に通院して診察・治療を受けたり、接骨院での施術を継続していたこと、原告が平成6年の時点で医師に後遺症診断書の発行を依頼したような事実も認められないことなどに照らせば、原告は、平成6年3月16日あるいは同月末日の時点において、自己の症状が後遺障害を残して症状固定の段階にあることを確定的に認識していたものと認めることはできないというべきである。

加害者を知らなかった例

① 東京高裁 昭和57年8月10日判決
(事案、争点)
昭和43年2月4日の交通事故について提出された証拠が、運転者が加害者であるとするものと、被害者であるとするものとに大別されており、本件事故当時における加害車の乗員4名の乗車位置について争われていた

(判旨)
次に民法第709条に基づく損害賠償請求権についてであるが、不法行為に基く損害賠償の請求権の消滅時効期間は、被害者が加害者を知りたる時より3年間と定められている(民法第724条)ところ、被控訴人が加害車の運転者が控訴人であったことを確知し得たのは、前記認定の各事実によれば、控訴人に対する第1審刑事判決のあった昭和46年3月30日と認めるのが相当であり、被控訴人が本訴を提起したのは、前記のとおり昭和46年7月27日であるから、本訴が右請求権の時効期間経過前に提起されたことは明らかである。よって被控訴人は控訴人に対し、いまだ民法第709条に基づく損害賠償請求権を有しているというべきである。

② 東京地裁 昭和58年3月7日判決
(事故態様)
片側2車線、車線変更禁止の道路を競争するような状態で並進していた被告Y1大型貨物車と被告Y2大型貨物車が本件事故現場付近に至りY2車がY1車の直前へ車線変更してきたため、衝突を避けるべく対向車線に進入したY1車が原告大型貨物車と衝突した事案につき、未接触のY2車にも強引に車線変更してY1車の進路妨害をしたという事案

(判旨)
被告村元及び被告樋口建材は、原告らと同被告らとの関係において消滅時効を主張している。
なるほど、原告らの同被告らに対する本件訴が提起されたのは昭和56年12月12日であり、本件事故発生日から既に3年を経過していたことは記録上明らかである。

しかしながら、前掲(証拠略)によれば、本件事故は、被告石坂のみの業務上過失傷害事件として警察の捜査が行われており、昭和54年4月20日に行われた被告村元立会の実況見分時においても、被告村元は被疑者としてではなく、参考人として取扱われていたことが認められる。

そして、原告東豊運輸代表者尋問の結果によれば、原告東豊運輸は、右のような警察の取扱い等により、被告石坂及び被告遠藤機設に対する本件訴を提起し、昭和56年9月21日に同被告らの答弁書によってその事実を知らされるまでの間、村元車も加害車であり、被告村元及び被告樋口建材に対して損害賠償を請求し得るという事実を知ることができなかったものと認めることができる。なお、前掲(証拠略)は右認定を揺るがすものではないし、他に右認定を覆すに足りる証拠もない。

そうすると、消滅時効は未だ完成していないことは明らかである

③ 東京地裁八王子支部 昭和61年5月29日判決
(事故態様)
交差点が工事のため大型掘削車が停車し見通しが悪いため、工事誘導員の合図で交差点進入した加害普通貨物車に、交差道路から自転車で走行してきた被害者が衝突した事故

(判旨)
次に被告の時効消滅の抗弁についてみると、原告が昭和59年6月8日頃武蔵野簡易裁判所に被告を相手方として損害賠償を求める調停の申立てをしたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すれば、原告は、自己に対する本件事故についての業務上過失傷害被疑事件が不起訴処分になったことを昭和57年2月頃検察庁に問合せて知り、原告訴訟代理人弁護士に相談して、被告に損害賠償責任があることを知り、右弁護士を通じて被告と交渉を始めたこと、しかし被告が応じないので、原告は、昭和59年6月8日頃武蔵野簡易裁判所に調停を申立てたが、同年12月12日不調となったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そうしてみると、右認定の事実に基づき考察すれば、原告は、自己に対する本件事故についての業過事件が不起訴処分になったことを知って、始めて被告従業員の誘導の誤りが本件事故の原因であり、自己がその被害者であることを知ったというべきであるから、被告に対する不法行為責任は、少なくとも右不起訴処分を知った昭和56年11月頃を経過した同年12月1日から消滅時効が進行すると解すべきであり、したがって原告が被告に対して調停の申立てをした同59年6月8日頃時効が中断し、更に調停不調となった同年12月12日の翌日から時効が更に進行するところ、本件記録によって本訴が提起されたのが同年同月26日であることが明らかなので、消滅時効は完成していないといわねばならない。

④ 東京地裁判決 平成12年11月7日判決

本件事故については、亡薫は事故直後から意識不明の重体で本件事故態様について述べることができなかったし、警察の捜査においても、乙第1号証で亡薫が被疑者で、宮本被告が被害者として扱われていることからも明らかなように、亡薫が一方的な加害者であるとされていた。

原告らにおいて、本件事故につき損害賠償を求めることできると考えたのは、平成7年1月ころに佐藤証人からの電話で本件事故の態様について聞いてからであり(甲第9号証)、民法724条の消滅時効は、右時点から進行すると考えるべきである。

したがって、本訴提起時(平成9年1月17日)において、消滅時効は完成していない。

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